大阪地方裁判所 昭和24年(行)142号 判決
原告 丸岡繁雄
被告 大阪府農業委員会
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「大阪府豊能郡箕面町(旧、萱野村)大子西坊島字善ケ原三九六番地の一・畑・二段六畝六歩のうち西側の八畝二二歩を訴外東田正義に売渡す旨の萱野村農地委員会の売渡計画の取消をもとめる訴願につき、被告が昭和二十二年九月十九日にした裁決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決をもとめ、その請求の原因として、つぎの通り述べた。
「請求の趣旨にかかげた農地(本件農地)はもと訴外玉置孝太郎の所有で、訴外東田正義が管理し、昭和二十年十一月九日から原告が小作してきたが、自作農創設特別措置法(自作法)により、不在地主の小作地として、買収の時期を昭和二十二年七月二日とする萱野村農地委員会の買収計画にもとずき、国が買収によつて所有権を取得した農地である。ところが、萱野村農地委員会は右農地のうち西側の八畝二二歩(係争部分)につき、原告から昭和二十二年四月九日買受の申込をしたのにかかわらず、同年七月二十二日訴外東田正義を売渡の相手方とする売渡計画を定め、同月二十三日その旨を公告して翌二十四日からその売渡計画書を縦覧に供したので、原告はこれを不服として同月二十六日同委員会に異議の申立をしたが、同委員会が、同年八月十六日これを却下する旨の決定をし、同月二十日原告にその通知をしたので、原告はさらに同年九月一日大阪府農地委員会(以下被告委員会とよぶ)に訴願したところ、被告委員会は同年九月十九日右の訴願を相立たずとする裁決をし、昭和二十三年一月十九日その裁決書を原告に送達した。
しかし、右の農地は自作法により原告に売渡すべきものであり、原告をおいて、東田正義を売渡の相手方とした右萱野村農地委員会の売渡計画はその点で違法であり、これに対する原告の訴願を棄却した被告委員会の裁決も違法として取消さるべきである。その理由はつぎの通りである。
一、本件農地の買収の時期は昭和二十二年七月二日で、その時期において本件農地につき耕作の業務を営む小作農は原告であつた。従つて、自作法第十六条同法施行令第十七条第一項第一号により、売渡の相手方として第一順位にあるものは原告である。
原告は昭和二十年十一月九日、当時賃借権者であつた北浦定吉から、本件農地の賃借権を譲受け、以来その賃借権にもとずいて耕作してきたもので、右賃借権の譲受については所有者玉置孝太郎の黙示の承諾を得ている。すなわち、右玉置孝太郎は従来北浦定吉が右賃借地を第三者に転貸するのを黙認してきており、転貸および賃借権の譲渡を予め承諾していたものというべきであり、原告に対する右の譲渡のみ特に正当の事由もないのに、拒絶するとすれば、権利の濫用といわねばならない。
この点、自作法は所有者の個人的な意思を無視して農地の適正な分配により耕作者の地位を保護しようとするものであるから、売渡を受ける耕作者の範囲を定めるに当つても、所有者の意思を顧慮せず厳格な意味の小作農のほか、現実に耕作の業務に従事する者をできるだけ広く包含するように規定されており(自作法第三条第五項第二号同法施行令第十七条第二項)、この趣旨にそつて小作農の範囲を広く解釈すべきで、右賃借権の譲受について、所有者の承諾を厳格に要求すべきではない。
原告は本件農地の係争部分八畝二十二歩を含めて、四段一畝の農地を耕作しており、右八畝二十二歩を失うと、耕作地は三段半に満たず、経営規模が余りに小さすぎることになる。
二、東田正義は売渡の相手方となる資格がない。
(一) 同人は本件農地の耕作をしたことはなく、小作農であつたことはない。
(二) 同人はほかに相当の自作地をもち、萱野村役場に永く勤め、最近は同村農業会に勤めているもので、妻は産婆を開業しており、特に本件農地を必要とする事情はない。
三、被告の主張する、原告の東田正義との合意について。
被告の主張するように仲裁人等の勧告で東田正義との間に一応の協定ができたのは昭和二十二年三月九日夜のことであるが、右は仲裁人等が何もわからぬ原告をだましたり、おどしたりして無理に承知させたもので、原告は右の協定の内容に従つて同年三月十日萱野村農地委員会に第一回の農地買受の申込をしたが、その後右の協定を取消し、同年四月九日右農地委員会に対し、さきの買受申込を撤回するとともに、本件農地の係争部分を含めた第二回の買受申込をしたものである。被告委員会の本件裁決の理由においても、上記本件農地係争部分の売渡計画を適法相当とする根拠として右協定の存在をあげているのであるが、右協定のような合意は、売渡計画において売渡の相手方となるべきものの順位につき自作法および同法施行令の定めるところを変更する法律上の効力はない。原告が右の協定を取消して買受の申込をした以上、右法令の定めるところに従い、第一順位者たる原告を売渡の相手方とする売渡計画を定むべきで、右の協定に拘泥し、右法令の規定を無視して東田正義を売渡の相手方とした売渡計画およびこれを認容した本件裁決は違法である。」被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決をもとめ、答弁としてつぎの通り述べた。
「本件農地が、玉置孝太郎の所有であつたのを、自作法により、同法第三条第一項第一号に当る不在地主の小作地として、買収の時期を昭和二十二年七月二日とする買収によつて国が所有権を取得した土地であり、そのうち係争部分八畝二十二歩につき萱野村農地委員会が昭和二十二年七月二十二日、東田正義を売渡の相手方とする売渡計画を定め、同月二十三日その旨を公告して翌二十四日からその売渡計画書を縦覧に供し、原告から同月二十六日異議の申立があつたので同年八月十六日これを却下する決定をし、同月二十日原告にその通知をしたところ、原告からさらに同年九月一日被告委員会に訴願をし、被告委員会が同年九月十九日右の訴願を相立たずとする裁決をし、昭和二十三年一月十九日その裁決書を原告に送達したことはすべてみとめる。
そして、右売渡計画において、売渡の相手方を東田正義と定めたのは適法で、売渡計画に違法の点はない。
一、まず、原告はその売渡の相手方となる資格がない。
本件農地のうち、係争部分八畝二二歩を含み、一筆の三分の二に当る一段七畝一四歩は、北浦定吉が賃借して耕作していたが、何時からか、北浦が朝鮮人に耕作させるようになつていたのを、所有者玉置孝太郎が戦災で住宅を焼失したので、右土地の一隅に住宅を新築し残余の部分は東田正義に耕作させる考えで、そのため右土地の管理をまかせていた東田正義を通じて、昭和二十年十二月北浦に返還をもとめたが北浦が離作料として一年の小作料十二円に比してあまりに高額と思われる金八百円を要求したので、その交渉はまとまらぬまましばらく停滞し、昭和二十一年二月あらためて北浦に交渉すると北浦は同月九日その賃借権を金千円で原告の養父丸岡愛之助に譲渡したと称して、交渉に応じなくなり、その頃から右丸岡愛之助が右の土地を耕作するようになつた。そこで東田は、その不法をせめて原告や愛之助に返還をもとめたが応じなかつたので、原告ないし愛之助が北浦から右土地の賃借権を譲受けたにしても、これについて所有者の承諾なく、適法な賃借権を取得していない。従つて、自作法第十六条同法施行令第十七条第一項第一号にいう、売渡の相手方たるべき「小作農」ではない。
二、萱野村農地委員会が、本件農地の係争部分について、売渡の相手方を東田正義と定め、かつ、被告委員会が訴願の裁決でこれを正当とみとめた理由はつぎの通りである。
東田正義は前記の通り、本件農地およびその他の玉置孝太郎の所有地を同人の依頼で管理していたほか、(1)同村大字自島字霞三二八番地の田二畝一二歩、(2)同所三二九番地の田一段三畝二八歩、(3)同村大字自島字長坂八八四番地の池敷三畝二十八歩の三筆の土地(自島の土地)を所有者木本仙太郎の依頼で管理していた。そして、右自島の土地は東田が昭和十九年から耕作にかかろうとしていた時応召して耕作ができないでいたところ昭和二十年原告の養父丸岡愛之助から東田の妻に耕作したいと頼んできたので、東田が復員したら無条件で返還する約束で小作料もとらず一時右丸岡に耕作を許し、丸岡が耕作してきたが、その後東田が復員して返還を求めてもこれに応じないままになつており、さらに本件農地についてさきに述べた通りの争がおきて、右二口の土地の耕作について東田と原告と争うにいたつたので、萱野村農地委員会の委員橋本正雄が同部落の十名の者とともに仲裁に入り、昭和二十二年三月九日夜両者の一任により作成した仲裁案に原告および東田も同意した結果、(一)自島の土地は原告が耕作し、(二)本件土地のうち前記一段七畝十四歩は二分して西側八畝二十二歩は東田、その他の八畝二十二歩は原告が耕作することにきまつて争が解決した。
そこで、萱野村農地委員会が、本件土地を含む第二回買収計画を定めるに当つて、原告も東田も、右仲裁の結果に従つて買受の申込をしたのであるが、原告はその後一旦承諾した右仲裁の結果を不服として、自島の土地および本件土地のうち前記一段七畝十四歩全部につき買受の申込をするにいたつた。
しかし、萱野村農地委員会は、買収農地の売渡計画を定めるにつき、右仲裁の結果に従うのを相当と考えて、本件農地のうち係争部分八畝二十二歩は東田、そしてその他の八畝二十二歩の部分および前記自島の土地は原告を売渡の相手方と定めた。
右の仲裁がないとすれば、右自島の土地は東田に返還すべき土地であり、本件農地については原告ないし丸岡愛之助は、その耕作が適法な賃借権に基かないこと前述の通りで小作農として売渡の相手方となる資格がないので、結局自作法施行令第十八条第二号によつて、自作農として農業に精進する見込ある者をえらんで売渡の相手方とすることになるが、この点の考慮においても東田正義を売渡の相手方として適当とみとめたものである。すなわち東田正義は学校の教員をしていて、その妻がもつぱら農業に従事しているが、自身もかたわら耕作し、農業用の牛も飼育していて古くからの専業農家であり、本件農地の係争部分については所有者玉置孝太郎から耕作を許されていたものであり、原告は川崎造船所に勤務していて農業に従事したことはなく、妻は神戸の阪急百貨店に勤めており、父丸岡愛之助は老齢の上、本業は古物商で戦争による食糧不足のため自家用に農業をはじめたもので牛なども飼つていない。
以上の事実により、東田正義を売渡の相手方としたのは適法であり、原告が売渡の相手方としての資格のないことは明らかである。」(証拠省略)
三、理 由
本件農地の係争部分につき、萱野村農地委員会が自作法により昭和二十二年七月二十二日売渡の相手方を東田正義とする売渡計画を定め、翌二十三日その旨を公告し、翌二十四日から売渡計画書を縦覧に供し、原告がこれに対し同月二十六日同委員会に異議の申立をしたところ、同委員会が同年八月十六日その異議を却下する旨の決定をし、同月二十日原告にその通知をしたので、原告がさらに同年九月一日被告委員会に訴願をしたのに対し、被告委員会が同月十九日その訴願を相立たないとする裁決をし、昭和二十三年一月十九日その裁決書を原告に送達したこと、および本件農地がもと玉置孝太郎の所有であつたのを、自作法により同法第三条第一項第一号に当る不在地主の小作地とみとめ、買収の時期を昭和二十二年七月二日とする買収によつて国がその所有権を取得した土地であることは何れも当事者間に争がない。
そして、右の売渡計画において、東田正義を売渡の相手方と定めたことの適否が本件の争点であるから、この点の検討をしよう。
本件農地二段六畝六歩のうち係争部分を含む西側の一段七畝一四歩は、もと北浦定吉が賃借して耕作していたのを、原告と同居の養父丸岡愛之助が、昭和二十一年二月頃(原告は昭和二十年十一月九日と主張するが、その点はいずれにしても本件の争点の判断には関係がない)右北浦から賃借権の譲渡を受け、その後同人が耕作するにいたつたもので、前記買収の時期たる昭和二十二年七月二日にはひきつづき丸岡愛之助が耕作の業務に従事していた農地であることは、成立に争のない乙第二、五号証、証人丸岡愛之助(第一回)、東田正義・東田兼子の各証言によつて明らかである。
そして、このかぎりでは、証人橋本正雄(第三回)の証言により、右の土地を自作法により国が買収するに当つては、右丸岡愛之助が耕作している事実を基礎にしてこれを小作地とみとめたものであることが明らかでもあるから、その売渡について自作法第十六条同法施行令第十七条第一項第一号により耕作の業務に従事する小作農として第一順位の売渡の相手方となるのは右丸岡愛之助である。賃借権の譲受について、所有者の承諾がなかつたにしても、その点に影響がない。買収農地の売渡の段階においては賃借権関係について前所有者の利益を考慮する必要はもはやないからである。
ところで、右の農地は、戦災によつて住宅を焼失した所有者の玉置孝太郎が、住宅新築の敷地にあてる目的で、昭和二十年十二月頃、前からその管理一切をまかせていた東田正義を通じて北浦に返還の交渉をさせ、東田は右敷地にあてた残余を自ら耕作するつもりで北浦に返還の交渉をしたが、交渉が停滞している間に丸岡愛之助が北浦から賃借権を譲受けて耕作するにいたつたのと、一方、右東田正義は別にまた訴外木本仙太郎から管理をゆだねられていた同人所有の萱野村大字自島字霞三二八番地の田二畝一二歩と同所三二九番地の田一段三畝二八歩との二筆の田(自島の田)を東田が応召中の昭和二十年にその妻が丸岡愛之助に貸して耕作させていたのを、東田が同年十月復員してきて右愛之助に返還をもとめたが、愛之助がこれに応ぜず、こうして、右二口の農地に関して東田と右愛之助ないし原告との間にその返還について争がおきた。そこで、萱野村農地委員会の農地委員である橋本正雄ほか、原告および東田と同部落の人達十名が仲裁者として仲に入つて話をした結果、原告も東田も仲裁者の仲裁に一任することを承諾し、昭和二十二年三月九日夜、右自島の田は原告なり愛之助が耕作し、本件農地の前記一段七畝一四歩は原告なり愛之助と東田とが二分の一ずつ耕作するという仲裁になり、原告も東田も、たがいにこれに同意し、くじ引の結果、右一段七畝一四歩の西側八畝二二歩(本件の係争部分)を東田、東側の八畝二二歩を原告なり愛之助が耕作することにきまつた。こうして、右耕作の権利について、原告と東田との間に合意が成立したので、両者はそれぞれその耕作部分につき萱野村農地委員会に買収後の買受の申込をした(原告は同月十日)のであるが、その後一月ほどして原告は意をひるがえして右合意の結果を不当とし、前記仲裁者にさきの同意の取消を申入れるとともに、萱野村農地委員会に対し、同年四月九日、さきに東田の耕作部分にきまつた本件農地の係争部分をも含めた買受の申込をするにいたつた。しかし、萱野村農地委員会は、右農地の売渡計画を定めるに当つて、やはり右仲裁による合意の結果に従い、自島の田と本件農地の前記一段七畝一四歩のうち本件係争部分のほかの八畝二二歩とについては、原告を売渡の相手方とし、本件係争部分については東田正義を売渡の相手方としたものである。そして、上記合意の取消については、その合意について取消原因たる詐欺または強迫があつたようでもないし、無効原因となるような重大な点の錯誤があつたともみとめられないので、原告が取消の意思表示をしたとしても、右の合意の効力には影響がないといわねばならない。以上の事実は成立に争のない乙第一ないし第五号証、証人丸岡愛之助(第一回)北浦定吉、丸岡シヅヱ、橋本正雄(第一、三回)、東田正義、東田兼子、中家佐太郎、東方一雄の各証言によつてみとめることができ、ほかにこれを覆すに足る証拠はない。
そうすると、右の売渡計画が適法であるためには、右の仲裁による合意によつて、売渡の相手方となるべき者が、丸岡愛之助から東田正義に変更されたのでなければならない。そして、当裁判所はその変更があつたものと考えるのであるが、その理由はつぎの通りである。
買収農地の売渡の相手方となる者を定めた自作法施行令第十七条第一項第一号は、その農地につき買収の時期において耕作の業務を営む小作農をまず第一順位者としているのであるが、その第二項において、右の農地について交換によつて賃借権使用貸借による権利等を取得した者を、買収の時期において耕作の業務を営む小作農とみなしているので、その場合には売渡の相手方としての第一順位者が変更されるわけで、本件はその場合に当る。
前記の仲裁による合意は、原告ないし丸岡愛之助と東田との契約であり、その結果は契約により、自作法施行令第十七条第二項にいう賃借権の交換があつた場合に当ると解すべきである。なるほど、同条同項にいう典型的な交換ではない、自島の田についても、本件農地についても、両者の賃借権は当事者で争われ、その争の解決として右の契約ができたのであるが、その合意においては、それぞれある程度相手の権利をみとめ、そして自分の耕作分となつた農地について相手が耕作の権利を主張しないのと引換に相手方の耕作分となつた農地については自分の耕作する権利を主張しないと約束することによつて、それぞれ耕作分となつた農地についての各自の権利を確保するにいたつているのであるから、その間一種の賃借権の交換があつたと考えてよいし、またこの合意は、右農地の買収後の売渡に関してなされたものであることは合意の翌日頃直ちに買受の申込をしている事実からも明白であつて、右は上記第十七条第二項にいう交換のあつた場合といつて支障がないと考える。
なお、右の合意を賃借権の交換と考えるとしても、それが有効であるためには、一般に農地調整法第四条同法施行令第二条第二項によつて、市町村農地委員会の承認を必要とし、右の合意について、その承認も承認の申請もなかつたようであるが、証人橋本正雄(第一、三回)の証言によつて明らかなとおり、その承認の権限のある萱野村農地委員会が前記仲裁の経過も十分知り、その結果を是認して、これにもとずき売渡計画を定めたものであつて別にとくに承認の手続がなされなくても、農地委員会の方でこれを有効とみて、これにそつて売渡計画を定めるのは違法というべきではない。その間に自作法の精神に著しくそむくところがあれば別であるが、本件においては、そのような事情はみとめられない。
以上の理由によつて、当裁判所は、萱野村農地委員会が本件農地係争部分の売渡計画において東田正義を売渡の相手方としたのは何等違法ではなく、右売渡計画に対する原告の訴願を棄却した被告委員会の裁決もまたこの点に違法はないと考える。そして、その他の点については原告もとくに争わないので、右の裁決はすべて適法に行われたものとみとめる。
よつて原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する。
(裁判官 山下朝一 鈴木敏夫 萩原寿雄)